子育ては時間制限のある最重要プロジェクト!

大阪府でシステムエンジニアとして働きながら、複数の自治体での男女共同参画審議会や子ども子育て会議の委員、さらに父親の家庭参画を支援するNPO法人の理事を務める牛山太郎(うしやま たろう)さんをご紹介します。

家庭のことだからと、夫婦だけで考えない。

厚生労働省の「令和5年度男性の育児休業等取得率の「公表状況調査」において男性の約半数が育児休業を取得していることを含めて、家庭に積極的に参画する男性は増えてきているように思います。一方で、周囲のパパ友や、子育て講座に参加した父親からは、家庭と仕事の両立ロールモデルが周囲になく、育児の苦労やプレッシャーは増えて悩んでいると耳にするようにもなりました。

私の場合、産前産後や、家庭での子育てについてかなり無知な状態で結婚しました。それでも、第一子が産まれた2016年に、男性が育児に積極的に参画していくための情報を、自治体やインターネットから手に入れることはそれほど難しくはなかったように思います。難しかったのは、手に入れた情報の正しさや活用しやすい場面を判別することでした。そのようなときに本当に有難かったのは、自治体の催しや産婦人科の勉強会、そして、先輩ママ・パパに実体験を教えてもらう、というようなことでした。

家庭のことだからといって、夫婦だけで考えていかなくてもよい。今振り返っても、周りの多くの人のおかげで子どもたちも育ち、家族の幸せを得ていると思います。もし今、子どもがこれから産まれるとか、産まれたばかりとか、生活が変わってどうしていったらよいか悩んでいるとか、夫婦で頑張っているけれど大変というご家庭があれば、少しでも参考になればと思い、私の家庭参画を通して感じたことをお話しします。

どれだけ良いと思っても、夫婦で合わせて初めて正解になる。

 

今は3人の子どもがいて、結婚した時から今まで共働きです。妻とは学生時代に出会い社会人で、数年間の遠距離恋愛を経て入籍をしました。妻の生まれ故郷は関西ですが、結婚当初は他の地域で仕事をしていました。私は関西で仕事をしていました。その後、妻の関西への転勤がかなって、念願の同居となりました。そして、第一子を妊娠しました。妻は仕事が大好きです。本人は言葉ではそうは言いませんが、私から見ると、負けず嫌いで、でも、周囲の人と一緒に何かを達成していくことに喜びを感じる。笑顔が素敵で、とてもパワーのある人です。

だから、そんな妻が第一子を妊娠した時、私はわりと楽観的でしたが、それはほんの最初だけでした。妊娠初期に驚いたことの一つは、妊娠中の体調不良について「病気ではないから大丈夫とする」場面が少なからずあることでした。周囲の出産経験がある人でも、妊娠中の体調不良を「病気ではないから」と、しんどくても言わない人がいる。妻も自身をそう扱っていました。つわりでつらくても、大丈夫だと自身に言い聞かせてしまう。対して私は、妊娠初期の女性の体調不良について知識も理解もなく、また鈍感でもあったため、気丈にふるまう妻をしんどくさせてしまったり、良かれと思ってしたことでも、妻からしたら逆効果ということもありました。

そんな状況が改善に向かったのは、産婦人科の両親学級(※)への参加がきっかけでした。ある日、妻が私に「産婦人科で両親学級があるから一緒に来て」と言いました。妻から話をされるより前に、両親学級というものがあるのは聞いたことがありました。母体や産前産後のことを詳しく知るため、免疫のない男性の一部は、初めて参加して、出産時に起こる様々なこと、それだけでなく妊娠中や出産後までの心身の負担や体調の変化の大きさにショックを受ける「らしい」ということも。私と妻はともに大学で生物系を専攻していたため、特に抵抗はなく一緒に参加したものの初めて知ることばかりでした。妊娠、出産、それに関わる多くについて、人によってかなり違うことも初めて具体的に学びました。

 

参加後から、以前より、妻と多くのことを話し合うようになりました。妊娠が進んで妻の体調がどんどん変わるにつれて、家庭に必要なことや仕事の調整を夫婦で話し合いながら、出産に向けて進んでいきました。

そうこうしているうちに、出産予定日の当日は産まれる気配がなく、次の日の明け方に産気づきました。私は、完全に寝ていて、なかなか起きません。このときのことのことを今でも言われます。きっと一生言われますね。そりゃそうです。ごめんなさい。

 

(※)両親学級:妊娠中・産前産後の母親の体調のことや、産まれてくる赤ちゃんのお世話の仕方を、母親・父親が学べる機会。主催者により、前者を母親学級、後者を両親学級と分けていることもあれば、同じ意味で使うこともある。

 

寝たい!寝られないと何もかもがつらい。睡眠という幸せ。

子が産まれたときのかけがえのない嬉しさを思い出すとき、合わせて、妻のひとことを思い出します。「こんなに眠れないとは知らなかった」です。新生児の授乳の間隔が短いことは知っていました。ですが、授乳自体に時間がかかることに、妻も私も考えが及んでいませんでした。結果、ほとんど寝られず、産後の退院時にはボロボロの妻。
すぐに色々話しました。寝る時間をずらしたのは効果がありました。まず、妻がある程度のまとまった睡眠をとれること。そして、妻が寝ている間に子を見るために、私もひととおりのことができるようになったことです。のちに授乳を卒業したとき「久しぶりに6時間寝た」と妻がつぶやいたのは印象に残っています。

妊娠、出産、子育ては、毎回違うことが起こる。外にも答えを探しに行こう!

第一子が離乳する頃、第二子の妊娠が分かりました。第二子の時に、特に夫婦の悩みとなったことは二つ。妻のつわりが第一子の時よりきつく、長かったこと。二つ目は、私が仕事を休むと収入がなくなること。独身時代から私は自営業でしたので、育児休業を取得できません。この頃の妻との会話は、ともに家庭を大切にしながら、夫婦のキャリアをどうしていくかという内容が多かったように思います。

 

第二子も無事に生まれた頃、私は仕事を変え会社員になりました。第二子の妊娠中に、妻の体調の問題が分かったことも影響しました。夫である私が「ある程度の休みをとっても収入に影響が少ない」状態になることが、色々なケースを考えて、「私たち夫婦の場合」は最善と判断しました。振り返ってみると、目の前の状況に対応するだけでなく、夫婦が互いを大切にして、より前向きに将来の生き方を広げるタイミングになりました。

 

このように考えて転職するまでに、周囲の様々なロールモデルを参考にしました。父親の家庭参画を推進する、笑ろてる(わろてる)父親になる、ということを真剣に楽しんでいる父親たちがたくさんいるNPO法人を知った時、すぐに入会を申請しました。家庭にはさまざまな形があり、悩みは違うけれど楽しんでいるたくさんの父親がいました。そこで多くのアドバイスをもらいました。同時に、自分たちの家庭は、どの家庭と違ってもよいのだとも思えて、気持ちがとても前向きになりました。家庭ごとに何が良いかは違いますが、夫婦で話し合い、他の家庭のことを知る機会を得て、父親同士で気持ちを共有する場に参加したことが、私たち夫婦にとって大切なものを気づかせてくれました。

大変なときこそ、夫婦で「未来のこと」を決める!

第三子の時には7か月の育児休業を取得しました。2021年のことです。男性の8人に1人が育児休業をとる(厚生労働省「令和3年度雇用均等基本調査」より)けれど、1か月以上取得する人はさらに少数派、でも増えてはきている頃でした。育休を取ることは、夫婦で話し合って、第三子の妊娠初期から決めていました。ただ、私が仕事の都合で週の半分は深夜に帰宅する、という問題が出ていました。4歳と2歳、妊婦、帰ってこない夫。私が携わっている仕事のプロジェクトの離任の日が決まっていたのですが、プロジェクトの状況は芳しくない状態でした。

 

出産予定日の2、3か月前に、夫婦で一つ決めました。私が育休に入るまでは「仕事はセーブせずに働く」ということです。実家のサポートもありましたので、同僚が私を育休に送り出しやすい仕事の状況に少しでもなるように尽くそうと思いました。

子どもが3人になっても、子育てって分からないことだらけ。でもそれでよいと思う。

第三子が産まれました。幸いにもこれまで二度の出産後よりも妻の回復も早かったです。私は7か月間の育休に入りました。妻が「育休を取ってくれたから、今回は体調がすぐに良くなった」と言ってくれた時、本当に嬉しかったです。

満を持して育休を取得した私は、育児については、わりと無事にスタートをきりました。一方で、家事については、特に「名もなき家事(※)」をほとんど意識していなかったと痛感しました。

私が育休をはじめて3か月が経った頃、「一緒に資格を取ろうよ。」と妻が言いました。夫婦で、子どものことはたくさん話しているから、せっかくなら他のことも一緒に話せるようになりたい、と。妻の会社で推奨している資格や検定があり、上の子と真ん中の子どもが産まれた時は余裕が持てなかったけれど、仕事への復帰に向けて、今回は、準備する気力があるから、ということでした。育休をとった成果が一つ増えたようで、これも嬉しかったですね。そして、夫婦で相談して検定を一つ受けることにしました。一緒に学ぶのはこんなに楽しいのかと、感じました。そして合格しました。

もちろん、育休をとっても、上手くいかないときもありましたが、妻や子どもとできる限り接し「子育てという時間制限のあるプロジェクト」に精一杯取り組むことは、本当に得がたいことだと現在進行形で感じています。ちなみに、子どもが3人いても、子育てのことは分からないことばかりです。インターネットから得られる情報を、ある程度、取捨選択できるようになった程度でしょうか。仕事であれば何千回も何万回も繰り返して、やっと一人前に近づいていきますから、生涯で多くともたった数回しか経験しないことは、いっそう手探りのまま進んでいきます。分からないからこそ、夫婦でずっと話し合い、家庭の外ともたくさんつながりを持ちながら、次世代につながっていけばいいのかなと、個人的にはそう思っています。

(※)名もなき家事:トイレットペーパーの芯をかえる、調味料を補充する、洗った食器を元に戻す、子どもの体温を計るなど、ひとつひとつでは大きな家事(料理・洗濯・掃除など)のように名前をつけにくいけれど、家庭生活において必須となる様々な家事のこと。

 

牛山 太郎
大阪府内でシステムエンジニアとして勤務。また、NPO法人ファザーリング・ジャパン関西[FJK] の理事。妻と子ども3人の5人家族。これまでに和歌山・大阪・奈良内にある各自治体で、男女共同参画審議会委員や子ども・子育て会議委員を歴任。
NPO法人ファザーリング・ジャパン関西公式サイトhttps://fjkansai.jp/

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