令和4年3月に大阪産業大学デザイン工学部を卒業し、現在は東京のアトリエ設計事務所 ㈱森建築デザイン事務所で社員として働く山崎沙也香(やまざき さやか)さん。ジュエリーデザイナーとして働く母の背中を幼い頃から見て育ち、ご自身も母のようにデザイン関係の仕事をしてみたい!と夢を描かれる山崎さんにお話を伺いました。
大学での専攻分野をどのように決めましたか?
私はデザイン工学部建築・環境デザイン学科に在籍していました。デザインに興味を持ったきっかけは、ジュエリーデザイナーとして国内外で活躍する母の背中を見て育ったからです。
そして、私は幼少の頃から絵を描くことが好きでした。私が描いた絵が何度か表彰されたことがあります。中でも印象に残っているのが小学3年生の頃に最優秀賞をいただき、その作品が自分の住む街に展示されたことです。このように評価を受けたことで自信につながり、学級旗や文集の表紙に私が描いた絵が選ばれたり、ポスター作成を担当したり、催しの内装と衣装のデザインをしたり、今ではデザイン展にも出展させていただくなど様々な経験をさせていただきました。そこで、自然に「何かを一から生み出すクリエイティブな仕事を将来したい!」と思うようになりました。
高校生の頃、先の進路を決定する時に私は数ある分野のデザインの中でもどの道に進むか迷っていました。その時に母から紹介され、一般社団法人総合デザイナー協会の理事長とお話しできる機会がありました。その方は建築やグラフィックと様々なデザインをされており、「まずは建築の面白さを知って、それからいろんなデザインを見てみなさい。そうすればより深くデザインについて知ることができるよ。」とアドバイスをいただいたことをきっかけに、私は建築という道に進むことを決めました。
当時は建築の「け」の字も知らなかった私が、今もなお建築の道に進んでいるのも、デザイナーとして魅力的な母の影響や総合デザイナー協会の理事長のアドバイスだけでなく、独創的な女性建築家のZaha Hadid※の作品を見て衝撃を受けたからです。それにより私は自分のしたいことは建築のデザインだと決めました。
※Zaha Hadid(1950-2016)
イラク・バグダード出身、イギリスを拠点に活躍した建築家。
コンテストに優勝しても、デザインが奇抜すぎて構築されなかったことも多く、「アンビルド(建たず)の女王」の異名を持っていた。近年では、建築技術の進歩により、建築可能物件が増えている。
影響を受けたお母さんはどのような方ですか?どんなところに憧れを持ったのでしょうか?
母は、娘から見ても、とても芯の強い自立した女性です。
ロシアへのクラシックバレエ留学の経験もある母は、しなやかでありながら力強い、そんなバレエの魅力を取り入れた曲線の美をデザインの原点としています。海外でのジュエリーショー出展や視察などを経て、今は日本の魅力を改めて見つめ、日本の伝統工芸である「蒔絵」の技法をジュエリーで表現した作品もデザインしています。
自らの経験を活かし、それを常にデザインへと昇華させ、お客様をより輝かせる上質な美を追求していく…デザイナーという職業に誇りを持ちいきいきと働く母、そんな母の姿に憧れ、私もデザイナーとして活躍したいという思いを抱くようになりました。
母には「本物のジュエリーがどこまでも衰えることなく輝き、その宝石が親から子へ、子から孫へ…代々と人を輝かせるものであって欲しい、日常を豊かにするものであって欲しい」そんな思いがあります。
私には「建物の美しさを保ち、より長く、より多くの人に利用してもらい、人々を少しでも豊かにするものを建ててみたい」という思いがあります。
ジュエリーも建築もどちらも人々の生活を豊かにするということに気づき、やはりデザインの仕事に関わりたいという強い思いができました。このように考えることができたのもそんな背中を見せてくれた母のおかげです。
(左:お母様 右:山崎沙也香さん)
大学生時代を振り返ってみて、「建築」にはどのような姿勢で学ばれましたか?
大学では主に西洋の建築学を学びました。4年間の学びの集大成として提出する卒業設計では「常に一人ひとりのユーザーに呼応する建築」に取り組みました。母のように一人ひとりに対応したデザインは建築の空間でもデザインすることは可能なのかと気になったことがきっかけで、このテーマを選びました。時には泊まり込んで研究するほど建築が面白く、熱心に取り組んだ学生時代でした。
また、学生時代最後には、建築学部の広告のモデル学生に選ばれたり、賞までは届かなかったですが、建築のデザインコンペで数ある中から入選をいただいたりなど、結果を出すことができました。
今はどのような環境で仕事をされていますか?
大学卒業後は、高級ホテルを主に執り行っている㈱森建築デザイン事務所で働き始めています。
事務所のコンセプトであり、デザインの核ともいえる「人に寄り添う心地よい空間を実現」とは、まさに学生時代に取り組んできた研究内容にも添っており、ご縁を感じ就職を希望しました。
また、社会全体が今、男性も女性も共に働きやすい環境を模索する中、建築業界はまだまだ残業が多い世界ですが、私が働く事務所は個々の時間を尊重してくださる会社です。私はまだ社会人として1年目で職歴も浅く、業務に戸惑うこともありますが、任せていただいた仕事を精一杯こなし、1日でも早く会社に、そして社会になじめるよう日々努力し、学び続けています。
今後の目標をお聞かせください。
今いる環境で建築の思想だけでなく、技術的なものも学び、母の背中を追い続けいつか越せるような女性デザイナーかつ一級建築士として資格を取り実績を積み、自分の仕事に誇りを持つことです。
母やZaha Hadid、今お世話になっている建築デザイン事務所の所長、私が尊敬しているこの3人に共通していることがあります。それは直線的な静的なデザインではなく曲線的な動的デザインをすることです。私も曲線を操られる建築家としてだけでなく、しなやかで力強い女性としても成長していきたいと思っています。
私の建築と母のジュエリー。分野は違っても、どちらも一人ひとりに寄り添い、流れゆく時間と共に変化する立派なデザイン業であり、難しいからこそ、大変やりがいのある素敵な仕事だと感じています。母の背中を見て育ち、憧れを抱き決めた道ですが、これからも母に刺激を受けながら切磋琢磨していける親子関係でありたい、とも思っています。国内外で活躍する母に負けず、私の建築への熱い思いが結果として現れるよう努めていきたいと思っています。
幼少期より大阪市内で暮らし、令和4年3月大阪産業大学デザイン工学部建築・環境デザイン学科卒業後、㈱森建築デザイン事務所で勤務。
卒業制作「個人の空間と時間の捉え方について」
Instagram:https://www.instagram.com/syk___ym/