関西学院大学総合政策学部国際学科4回生の吉松 紗也佳(よしまつ さやか)さんの活動、起業までのストーリーをご紹介します。
始まりは一冊の本
私の生まれは和歌山の有田川町という小さな町で、生まれた時から家に犬が居て、沢山の動物と幸せな暮らしを送ってきました。動物が大好きで、犬や猫だけでなく虫も生き物なら何でも興味を持って触るような子どもでした。小さい頃からとにかく動物・生き物が大好きでした。
犬を見て朝が始まり、学校から帰ってきたら一緒に遊んで、寝る前にはおやすみと挨拶をして寝る日々でしたが、小学校4年生の時地元の書店でたまたま手に取った本が私の人生を変えました。
その本の名は「100グラムのいのち」という本で、表紙の猫の可愛さにつられてなんとなく手に取りましたが、実は殺処分についての本で、読んでみると私の人生で一番の衝撃を受けました。
「どうして犬猫が殺されるのか?日本ではそんなことが行われていたのか」
とショックを受けて動物を助けたいと思いました。しかし、田舎で生まれ育った私には今のように保護を手伝うという選択肢もなく、どうしたら良いのか途方に暮れていました。それからというもの、毎日ペットのおうちというサイトを見て、母に「この子、明日までの収容の期間だから、うちで引き取れないかな?そうじゃないと殺処分されちゃう。」と何度も言っていました。自分で大好きな動物たちの命を助けることが出来ず、見殺しにしてしまう気がしてとても毎日が苦しかったです。
転機は職業体験
殺処分を知ってから、私にも出来ることはないかと模索する日々を過ごして中学生になり、職業体験に行く時期になった私は迷わず第1希望で動物病院を希望していました。あの時この選択をしていなければ、恐らく今事業を出来ていなかったと思います。
動物病院はとても人気でしたが、抽選で選ばれて無事行けることになり、動物病院に行きました。
私の犬も行っていた病院だったので、最初は「動物と関われるので楽しみ!
獣医さんってどんなことをしているんだろう…」と病院に行きましたが、実際に手術の現場を見たり、現場のお手伝いをしている中で、命を扱うお仕事に真摯に取り組む姿は本当に凄い!尊い!と思うようになりました。
また、少し日が経って獣医さんと看護師さんとも打ち解けてきた頃に、病院で預りをしている子のことを教えてくれました。
その子は糖尿病にかかった高齢犬で飼い主さんが飼えなくなったので、うちで保護しているというお話を聞いて、獣医師さんになって動物病院を作れば私も保護できるのでは無いかと希望を抱きました。その日から私の夢は獣医師さんになって、殺処分を無くすことに変わりました。
芽が出ない5年間
職業体験から獣医を目ざすことを決めた私は、獣医学部のある大学に行きたいと家族に話をして、本気で獣医師になることを将来の夢に決めました。
当時通っていた塾で夜中まで残り、ひたすら勉強に打ち込んで私のレベルでは絶対に合格出来ない私立の高校に合格し、入学出来た時は本当に嬉しかったです。
高校生になっても、私の夢は変わらず3年生まで獣医学部を目ざして、朝早く学校に行って、塾にも通っていました。
しかし、高校3年生になり模試を何度受けても志望校は全てE判定でした。夏の時点で「正直、今のままでは非常に合格が難しいので、志望校を変える方が良い」と面談で言われて、私は努力しても獣医学部には行けないんだと希望がなくなりました。
今まで獣医学部に行くためだけに勉強してきたので、もう勉強するのは意味がないと感じてしまい、学校にも行かなくなってしまいました。
しかし、夢を応援してくれていた両親や友人の励ましと当時の担任の先生の温かい言葉で立ち直り、他にもきっと自分の進むべき道はあるはずだと考え直し、もう一度志望校を探しました。そして、関西学院大学の総合政策学部を見つけたのです。
「私はここに進学して、世の中の政策などを学び、殺処分を無くすための方法を見つけよう!」
そう決めて約半年後無事に合格し、入学することが出来ました。
保護と向き合った約2年間
大学に入学して、少し生活に慣れた頃、別の学部の学生から保護猫ボランティアのサークルを立ち上げたいので、一緒にやらないかという誘いの連絡が届きました。
私は迷わずやりたいと返事をし、6人のメンバーからサークルがスタートしました。お手伝いをする保護団体を探して、そこに連絡して面談をしてもらい、主に保護シェルターでの猫達のお世話をすることになりました。
保護シェルターに初めて足を踏み入れた時は、やっと保護にかかわれるのかと嬉しい気持ちでいっぱいで、猫達がどう言った経緯で保護されたのかなどを聞いて、必ず新しい家族が見つかるように頑張ろうと意気込んでいました。
活動はやりがいと楽しさを感じていましたが、やはり病気の子も多く、治療費などを賄えていない現実も目の当たりにしました。
そこで感じたのが「お金が無いと動物を助けられない」ということでした。
動物が好きな人ばかり集まっていて、みんな目の前の子を救おうと必死なのに助けられない命がある。
それがとても悔しく、このままお金が無いから助けられないで諦められないと思い、その時初めて事業でお金を生み出して、自分で動物を助けられるようになりたい、やはり殺処分を無くすために人生を賭けようと決めました。

我慢の約1年半
保護ボランティアではなく、事業で犬猫を助けたいと思い、起業という道に興味を持った私は大学内外の起業プログラムに参加しました。
その時までは犬猫の生活をもっと幸せにしたい、殺処分を無くしたいという漠然とした気持ちでしたが、誰の何の課題を解決する物を作るのかその時に改めて考えさせられました。
初めは保護事業の分野で、保護団体から犬猫を譲渡する仕組みや犬猫を捨てないように相談サービスなどを考えていましたが、収益化が難しく、続けられないならビジネスとして成立しないと何度も計画を練り直しているうちに気づきました。
そこで保護の分野ではなく、「食」の分野で内容を変更しました。食の分野を選んだ理由は、3点あります。
- 元々私は食べることが好きなので、食のことなら好きで続けられると思ったこと
- 私の飼っている愛犬が食物アレルギーでごはんについて悩みがあること
- 大学時代に認知症の専門の介護施設で1年半ほど働いていた時に、患者さんが楽しく過ごす工夫より、安全確保のために外に出られないような工夫がされていました。その環境の中での患者さんの楽しみが毎日のご飯だと聞きました。家の中で過ごすことが多い動物にも食事が楽しくあって欲しいと思ったこと
以上の3点です。
これらの理由から、まずは食の分野から動物を幸せにしたいと思い、食製品の開発を決めました。

まずは自分に出来ることで無農薬・無肥料の野菜でおやつを作るなどを行っていましたが、全く事業経験が無かったので、上手くいかないことや分からないことも多く、約1年間は動物の管理栄養士の資格取得を目標に学びながら、業界を問わず沢山の経営者の方に会いに行き、ビジネスコンテストに参加し優勝するなど自分に出来ることは全てやって来ました。
運命の企業との出会い
事業で動物を助けようと決めてから約1年間の勉強をして資格を取得し、いよいよ事業を始めたいと試行錯誤している中、ある企業に出会いました。その会社の理念は【人の夢、関わる企業の夢を見つけ叶える】という理念でした。それまで私は自分の力で夢を叶えたいと思っていましたが、この人たちと出会えたことで自分一人の力でなくて良いんだと気づきました。本気で人の夢を応援して、その夢が実現するようにサポートしてくださる姿勢を持つ方々に出会うことが出来、運命を感じました。
その企業に関わって半年ほどで、新規事業でペット事業を立ち上げる許可をもらい、事業投資をしてもらうためのプレゼンテーションを行いました。
まだ実力不足を感じることも多く、学びの毎日で、何度も辞めようかと思いましたが、動物を助けたいという気持ちで12年間出来ることを探してきたので諦められませんでした。こんな貴重な機会はないと思い、必死で苦手だった数字とも向き合い資料を完成させました。
そして、3回目の新規事業プレゼンで予算をもらい、犬用の食事のケア用品の開発が決定しました。その時の「プレゼンに感動した」という言葉は本当に嬉しかったです。
試行錯誤の商品開発
いざ商品開発が出来ることになりましたが、メーカー探しと商品テストで何度もつまづきました。
動物用の食事の製品を作れる工場を知らなかったので、調べて出てきたところには全て問い合わせの連絡をしましたが、沢山断られ続けました。
せっかく事業投資いただいたのにここで実現出来ないのは悔しいと思い、諦めずに問い合わせを続けるとようやく2社製品開発が出来る所に出会う事が出来ました。
ただ、そこからも試行錯誤の連続で偏食の犬猫用にご飯にかけられるドレッシングを開発していたのですが、何回も会議を重ねて作った商品がテストで全く食べない、改良しても飽きる、食べないなどこれでは商品化が出来ないという状態が続きました。
栄養成分よりも食品のパウダーの量を増やして、バランスを調整するなど何度やっても満足いく結果が得られず、徐々にスケジュールが遅れていくことに焦りを感じていました。
商品を作ることが目的になってしまっていると感じ、もう一度どんなものであれば悩みを解決できるのかを整理し、商品設計を見直し、内容成分も大幅に変更しました。
開発には実地調査から実際に商品開発をする間でかなり時間がかかりましたが、その間で地道にアンケートや公園に行って話を聞くなど飼い主さんとの対話から発見することも多く、やってきたこと全てに意味があると感じています。

今は商品が出来て、これから販売する段階ですが、これからも地道に努力することを大切にして、この先に行う事業、開発する商品で動物たちを幸せにしたいと思います。
最後に
「殺処分」は多くの人が耳にしたことがある言葉ではないでしょうか。
私は本で知りましたが今はテレビ番組やSNSを通じて知ることや発信することが出来ます。よく自分に出来ることは何もないのかという声を耳にしますが、出来ることは必ずあります。
SNSの発信でも、身近な人に話すことでも行動してみることが大切だと、この12年で感じてきました。
昔の私のように何もできない自分を責める人がもしいたら、自分を責めず、小さな出来ることを積み重ねで人生は変わることと、その積み重ねを続けるうちに知ることが増えてくるので、時間はかかっても具体的にできることが新しく見つかると伝えたいです。
殺処分について知っても何もできなかった私が何かしようと行動すると、同時に動物業界の実態や問題点も知りました。
愕然とすることもありましたが、同じ想いを持って業界内外で行動されている方や夢を応援して下さる方にも沢山出会うことが出来て、本当に感謝しています。
悔しいことや傷つくことも沢山ありましたが、諦めず続けてきて良かったと本当に思います。
2025年の春に発売予定の商品は自信を持っており、早く1人でも多くの飼い主さんの所に届けたいです。
食事業を展開した後には、他分野にも事業を広げて行く予定です。事業が大きくなれば保護の分野にも事業展開して、直接的に保護に関わりたいですし、私自身もっと犬について学んで犬や猫を引き取るなど出来ることの幅を広げていこうと思います。
この4月からは社会人になりますが、事業で動物と人も幸せし、殺処分を無くせるように毎日を全力で過ごしたいと思います。
幼い時から21年間犬や小動物などの動物と暮らし、動物をこよなく愛する学生起業家。2025年3月卒業予定。
小学4年生の時に「100グラムのいのち」を読んで動物の殺処分を知る。
2021年~大学で保護猫ボランティアサークルの立ち上げ、NPO法人と共に保護活動に取り組む。
2023年5月~自然農の野菜で犬のおやつの製造販売、8月~動物の食育士の資格(ペットフーディスト)取得を目ざし勉強を開始。合格を目ざす。
2024年2月にペットフーディストの資格を取得し、ペットフードの開発に関わる。
2024年11月より株式会社ステラライトにてペット事業部責任者として犬猫用の食事用品の開発を行う。
犬猫のマウスケアメンターの認定や第1回西播磨ビジネスコンテスト 学生部門 最優秀賞受賞の実績あり。