鶴身 知子(つるみ ともこ)さん
鶴身印刷株式会社 代表取締役
都会の真ん中にたたずむ「昭和」
大阪環状線「京橋」駅の南口を出て5分ほど歩くと、壁に大胆に描かれた人物がひときわ目を引くレトロな建物が見えてきます。「鶴身印刷所」と書かれた入口から一歩中に入るとインクと紙のかすかな香りと木の温もりに、包み込まれるような安らぎを感じます。
すぐ前を走る電車の音も感じさせない穏やかな時間の中で鶴身知子さんにお話を伺いました。
戦前は小学校の講堂(逸話)やお菓子工場として使われていたこの場所に「鶴身印刷所」が産声を上げたのは戦後間もない頃でした。初代の曽祖父は石版印刷を生業とし、ニッカウイスキーの精密なラベル印刷を手掛け、たくさんの職人と共に激動の昭和を生き抜いてこられました。
鶴身さんにとってここは、幼いころ何度となく遊びに来たおじいちゃんおばあちゃんとの思い出が詰まった懐かしい場所。都会の喧騒の中ひっそりたたずむここが今、鶴身さんの「生き方」を表現する場所になっています。
「四代目」を引き受けて
2015年、父親が突然倒れ、会社の経営から退くことになりました。初代の曽祖父から祖父、父に代々受け継がれてきた「鶴身印刷所」のバトンは突然、鶴身さんの手に託されることに。
当時勤めていた会社が倒産の後、解散。会社の清算業務で混沌とした毎日がまるで「現世の地獄だった」と振り返ります。この経験を通して人が気持ちよく働ける環境づくりの大切さを身に染みて感じ、家業の四代目を引き受ける覚悟をしました。
しかし、印刷のことは何も知らない鶴身さん。しかも早くに母を亡くし、父親の介護をしながら自分が経営に携わることは無理だと考え、引き継いで間もない印刷業を廃業する決断をします。
「終わり」は次の「始まり」
戦後から70年以上にわたり印刷一筋の鶴身印刷所のシンボルともいえる工場の一つを手放す決断をしたのですが、解体前にその場所をイベント会場として使わせてもらえないかという依頼が舞い込みます。
古くて、汚くて、散らかった場所だった印刷所がアーティストの手によって彩られ、息を吹き返す様子を目の当たりにしました。「the birthday 終わりと始まり。」と題したこのアートイベントには地元の人をはじめ遠方からも人が訪れ、600人の人で賑わいました。
戦争を生き延びた建物と先人たちが守り、繋いできた印刷業の歴史を私が残していきたい。
このイベントをきっかけに鶴身さんの心に「この建物と一緒に生きよう」という覚悟が沸き上がりました。工場の一つをものづくりと学びの場所として残したいと考え、クリエイターが自由に創作できるアトリエや工房、ショップのエリアと地域の人が通える学びの場を融合させた場づくりをしています。
印刷工場になる前は小学校の講堂だったこの建物が持つ「力」を存分に感じたと鶴身さんは言います。「ものづくり」と「学び」でこの街をもっと元気に暮らしやすくできたら。ここを「街に開かれた場所」にしたいと願い、「鶴身印刷所」の後継者として、先人たちの想いを胸に自分らしい挑戦を続けています。
鶴身印刷所
大阪府大阪市城東区新喜多1丁目4-18
https://tsurumi-print.com/